『失われた時を求めて』という作品についてご存知でしょうか?
フランス文学を代表する作品の一つで、マルセル・プルーストによって書かれた小説作品です。
この作品の特徴を一言で表すとすれば「長い!」とにかく長いんです。400字詰めの原稿用紙全部で1万枚ほどの分量といわれ、和訳された文庫本でも13~14冊ぐらい余裕でいきます。
ちなみに最も長い小説としてギネス登録されています。
そして長いだけでなくて「つまらない」「読んでいて退屈する」とよく言われます。プルーストは1つ1つの描写にものすごくこだわる人でその結果文章が長くなります。
『失われた時を求めて』を寝る前に読んで睡眠薬代わりにするという笑い話すらあるくらいです。
そんな長くてつまらない作品といわれる『失われた時を求めて』ですが、実は計り知れない魅力を備えています。(世界中にファンがたくさんいます)
この記事ではプルーストを専門に研究する筆者が主に以下の3点について解説していきたいと思います。
- 『失われた時を求めて』はどんな作品か
- 『失われた時を求めて』の魅力はどこにあるのか
- 初心者が挫折しないためにはどうすればよいか
『失われた時を求めて』を全く知らない方、『失われた時を求めて』に興味を持っている方、『失われた時を求めて』に挫折した方などどなたでも楽しめる記事ですので、ぜひ一読ください。
『失われた時を求めて』はどんな作品か
『失われた時を求めて』は非常に長い作品ですが、一体どんな内容なのでしょうか?
この作品にあらすじというものを示すのが適切なのか微妙ですが、ごく簡単に述べるとすれば次のようになります。
『失われた時を求めて』のあらすじ
主人公が無意識に記憶がよみがえったことをきっかけに、これまでの人生を振り返ってそれを1つの作品にまとめようとするまでの道のりが書かれた作品
「え、どういうこと?」と感じられたと思いますので少しずつ説明していきます。
『失われた時を求めて』は膨大なページ数が費やされて主人公の幼少期から晩年にいたるまでその人生が描かれています。
そこには主人公の恋愛、社交界の遍歴、たくさんの人物との交流が描かれています。
こうした膨大な過去の出来事を思い出すのには一苦労ですし、誰もが自分の人生を一冊の本にまとめようなどと普通思わないでしょう。結構面倒くさいと思いますよ(笑)
ではなぜ主人公は自分の過去の記憶を頼りに一冊の本を書こうと思ったのでしょうか?
その大きな原因の1つが無意志的記憶で、『失われた時を求めて』の最重要キーワードです。
無意志的記憶とは頭で思い出そうとするのではなく、味覚とか嗅覚とかもっと原始的なものによって不意に過去の記憶が蘇ることを指します。
心理学ではこれをプルースト効果と読んだりするみたいですね!
こうして過去の記憶がふと蘇ったことで忘れていたと思っていた過去をありありと思い出したことが自分の人生を一冊の本をまとめようと決心するわけです。
その出来上がるであろう本は『失われた時を求めて』に酷似するであろうことが読み取れます。
つまり、これから書こうとする本の内容は読者がこれまで読んできたものであるから、読者はまた『失われた時を求めて』の冒頭に戻って読み始められるような円環構造となっているのです!
『失われた時を求めて』の仕掛け
主人公が書き始めた一冊の本は『失われた時を求めて』と酷似するものであり、読者はその内容をもう一度確認するため、再び冒頭に戻るような構造になっている。
『失われた時を求めて』の構成
『失われた時を求めて』は全部で7章に分かれています。
『失われた時を求めて』の7章
- 第1篇『スワン家のほうへ』
- 第1部「コンブレー」
- 第2部「スワンの恋」
- 第3部「土地の名ー名」
- 第2篇『花咲く乙女たちのかげに』
- 第1部「スワン夫人をめぐって」
- 第2部「土地の名ー土地」
- 第3編『ゲルマントのほう』
- 第4編『ソドムとゴモラ』
- 第5編『囚われの女』
- 第6編『消え去ったアルベルチーヌ』
- 第7編『見出された時』
実はこのうちプルーストの生前に出版されたのが『ソドムとゴモラ』までで、後は死後出版なのです。プルーストの草稿を頼りに第5~7編は出版されました。
そういう意味では『失われた時を求めて』は未完の小説ともいえます。
もう一つ構成に関して述べておきたいのが、『失われた時を求めて』は基本すべて一人称「私」で書かれていますが、『スワン家のほうへ』の中の「スワンの恋」だけが三人称で書かれ、主人公は「私」ではなく、「スワン」です。
この章だけ異例で主人公の生前の出来事が描かれた場面です。
『失われた時を求めて』で最も有名な場面は?
『失われた時を求めて』は非常に長い作品ですが、「これだけは絶対に知っておきたい!」というとても有名な場面があります。
『失われた時を求めて』を読んだことがなくても教養としてこの部分だけは説明できるようにしておくといいと思います!
それは『スワン家のほうへ』の「コンブレー」で描かれるマドレーヌの挿話です。
ここだけは覚えたいマドレーヌの挿話
紅茶に浸したマドレーヌを口に入れた途端、忘れ去っていた幼少期を過ごしたコンブレーの黄金の思い出が無意志的にありありと蘇ってくる。
主人公は幼少期をコンブレーという街で過ごすのですが、彼にはコンブレーの嫌な記憶しか覚えていませんでした。具体的にはお母さんがおやすみのキスをしてくれずに虚しく過ごす夜の思い出しかありませんでした。
しかし、コンブレーにいた頃口にした紅茶に浸したマドレーヌを食べたある日、嫌な記憶以外の楽しかったコンブレーで過ごした時の記憶がありありと蘇ってくるという感動的な場面です。
これが意志ではなく、味覚という原始的な作用によって記憶が蘇るという無意志的記憶です。
『失われた時を求めて』を全部読まずともぜひこの場面だけは一度読んでみてほしいです。
『失われた時を求めて』の魅力はどこにあるか
『失われた時を求めて』は長くて退屈な作品と言われますが、魅力はとてつもなくあります。
ここでは個人的にその魅力の一部について簡単に書いていきたいと思います。
『失われた時を求めて』の魅力
- 美しい文章
- よく考えられた構成
- 美術や音楽への造詣の深さ
- プルーストの鋭い観察眼
まず一つ目は文章の美しさです。
プルーストは一文一文が恐ろしく長いので読みにくいとよく言われます。しかし、逆にその文章の長さを良い風にとってみてはどうでしょうか?
彼の比喩に富んだ文章を時間を気にせずゆっくり読んでみれば、その魅力が伝わると思います。
二つ目は構成の素晴らしさです。
『失われた時を求めて』は非常に長い作品ですが、注意して読むと驚くほど構成が考えられた作品であることに気づきます。
いわゆる伏線もたくさん存在しています。じっくり読んだ方だけが知れる他に変えようもない特権です!
三つ目は作品内でプルーストの美術や音楽への造詣の深さが味わえるところです。
作品内では、文学者、画家、音楽家たちが次々に批評されています。それだけでも勉強になるのですが、プルーストは相当に眼識があったことが伺えます。
例えば、今でこそ有名なフェルメールは当時まだ評価されていませんでしたが、プルーストがその再発見に貢献したといわれています。
四つ目はプルーストの鋭い観察眼の鋭さが味わえるところです。
『失われた時を求めて』の文章は、話題があっちにいったりこっちにいったりして、しかも一つの描写に異常なほど凝るために話がなかなか進みません(笑)
花を描写するのに2ページも3ページも費やすことはざらです。
なぜこんなにも凝った文章を書くのかというとそれだけプルーストが物事への注意が敏感で、鋭い観察眼を持っていたからに他なりません。
「あ、こういう見方もあるのか!」と彼の文章を読んで気づかされることは多々あります。
『失われた時を求めて』に挫折しないために
筆者としては『失われた時を求めて』は挫折してもいい!という考えです。
実際、今でこそ専門に研究していますが当初は挫折してしばらく放置しておりました(笑)でもある時、不思議とふと読みたくなったんですよね。
「でも読むならやっぱり挫折せずに読みたい!」と思うので、ここで挫折しないためにすると良いことについて述べておきたいと思います。
挫折しないためにおすすめなこと
- 先を急ぐのでなく文章をゆっくり味わう
- 抄訳版や有名な箇所だけまず読んでみる
- 入門書を読んでみる
- 映画やコミック版に触れてみる
まずは先を急いで読もうとしないということです。
とてつもなく長いので先へ先へ急いで読みたくなってしまいますがそれは逆効果です。
むしろ時間を気にせずゆっくり文章を味わう方が『失われた時を求めて』は面白いのです。
2つ目は全部一気に読もうとするのではなく、抄訳版や有名な箇所だけ読むという方法です。
『失われた時を求めて』はじっくり読むべきだといいましたが、それでもやはり一通り話の流れを掴んでおきたいのではないでしょうか。
そこで『失われた時を求めて』の抄訳版がおすすめです!
この本は『失われた時を求めて』の中でもとりわけ重要な場面だけを集めて、一通り話の流れを理解できるように作られた本です。
全部で文庫本3冊とそれなりに長いですが、『失われた時を求めて』に最初に挑戦するにはもってこいです。
筆者も実は抄訳版から読みました。
また、最初に読むには「スワンの恋」から読むのがおすすめです!
先ほども述べましたが、この章だけ主人公が「私」ではなく、「スワン」の異例な章です。
「スワンの恋」は『失われた時を求めて』を全く知らなくても一つの作品として読める作品です。
しかも「スワンの恋」を読めば『失われた時を求めて』の全体像が分かると言われています。それほどエッセンスが詰まっているんですね!
最初に読むなら「スワンの恋」がおすすめ
- 「スワンの恋」は『失われた時を求めて』を全く知らなくても一つの作品として読める
- 「スワンの恋」を読めば『失われた時を求めて』の全体像が分かる
僕がおすすめしている岩波文庫の『失われた時を求めて』では2巻に「スワンの恋」が収録されています。
3つ目は作品に触れながら入門書にも触れてみるという手があります。
入門書を読むことによって『失われた時を求めて』をどのように読めば面白いのか、どこに魅力があるのかを確認することができます。
吉川一義さんが書かれた入門書を2冊紹介しておきます。
上は『失われた時を求めて』の全体的解説、下は「コンブレー」の解説に絞った本です。最初は下の『プルーストの世界を読む』の方がおすすめです。
4つ目は、『失われた時を求めて』の映画やコミックに触れてみるという方法です。
映像や絵に親しむことで難解な作品へのイメージが湧きやすくなるかもしれません!
まとめ
プルースト及び『失われた時を求めて』を専門に研究する筆者によって、作品を読む魅力などについて解説してきました。
少しでも興味を持っていただければ幸いです。
非常に難解な作品ですが、読んでいくうちに魅力がじわじわと分かってくる作品だと思います!
ぜひ作品に挑戦していただけたらなと思います。